「科学的社会主義」講座 その(1) 『経済学批判』序言 (唯物史観の定式)

「科学的社会主義」講座 その(1)
『経済学批判』序言 (1859年)  (ページは「国民文庫」版による)


(唯物史観の定式)
・(p15)私を悩ました疑問の解決のために企てた最初の仕事は、ヘーゲルの法哲学の批判的検討であった。(1844年「独仏年誌」に掲載の「ユダヤ人問題によせて」と「ヘーゲル法哲学批判 序説」)。研究の到達した結果は次のことであった。即ち、
・法的諸関係ならびに国家諸形態は、それ自体からも、またいわゆる人間精神の一般的発展からも理解できるものではなく、むしろ物質的な生活諸関係に根ざしているものであって、これらの生活諸関係の総体をヘーゲルは、18世紀のイギリス人及びフランス人の先例にならって、「市民社会」という名のもとに総括しているのであるが、しかしこの市民社会の解剖学は経済学のうちに求められなければならない、ということであった。
・パリで始めた経済学の研究をブリュッセルで続けた。私にとって明らかとなった、・・・私の研究の導きの糸として役立った一般的結論は、簡単には次のように定式化することができる。
・「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、即ち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係に入る。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に1つの法律的及び政治的上部構造が立ち、そしてこの土台に一定の社会的意識諸形態が対応する。」
・物質的生活の生産様式が、社会的、政治的及び精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。
・(p16)社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないが、所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。その時に社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、あるいは急激に変革される。
・このような諸変革の考察にあたっては、経済的生産諸条件における物質的な、自然科学的に正確に確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それを闘い抜く場面である法律的な、政治的な、宗教的な、芸術的または哲学的な諸形態、簡単に言えばイデオロギー的諸形態とを常に区別しなければならない。
・ある個人が自分自身を何と考えているかによって判断しないのと同様に、このような変革の時期をその時期の意識から判断することはできないのであって、むしろこの意識を物質的生活の諸矛盾から、社会的生産諸力と生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならない。
・1つの社会構成は、それが十分包容しうる生産諸力がすべて発展しきるまでは、決して没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化され終わるまでは、決して古いものにとって代わることはない。
・それだから、人間は常に、自分が解決しうる課題だけを自分に提起する。なぜならば、詳しく考察してみると、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに存在しているか、または少なくとも生まれつつある場合にだけ発生することが、常に見られるであろうからだ。
・大づかみにいって、アジア的、古代的、封建的及び近代ブルジョア的生産様式を経済的社会構成の相次ぐ諸時期としてあげることができる。(※)
 (※アジア的生産様式とは、原始共産制のこと。また近代ブルジョア的生産様式とは、近代資本主義的生産様式のことです。マルクスは、この時点ではまだ資本主義という言葉を使っていない。)
・(p17)ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である。敵対的というのは、個人的敵対という意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味である。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生活諸力は、同時にこの敵対のための物質的諸条件をもつくりだす。従って、この社会構成でもって人間社会の前史は終わる。


(参考1) 「エンゲルスの書評」「カール・マルクス『経済学批判』 (一)(p253〜)
(p255)・・・このドイツ経済学は、根本において唯物史観に基づいており、その綱要は、「序言」のうちで簡潔に述べられている。「物質的生活の生産様式が、社会的、政治的及び精神的生活過程一般を制約する。」という命題、即ち、歴史の中に現れるすべての社会的、国家的諸関係、すべての宗教的、法律的体系、すべての理論的見解は、それらに対応するそれぞれの時代の物質的生活諸条件が理解され、そして前者がこれらの物質的諸条件から導き出される場合にのみ理解されうるという命題は、単に経済学だけではなく、すべての歴史科学(自然科学でないすべての科学は歴史科学である)にとっても、革命的な発見であった。(p256)
・(p256)「人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。」この命題は極めて簡明であるから、観念論的な妄想に凝り固まっていない人になら誰にでも自明な事であるに違いない。しかしこのことは、単に理論にとってだけでなく、実践にとってもまた、非常に革命的な帰結をもっている。
・(p256)「社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないが、所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。その時に社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、あるいは急激に変革される。・・・
・ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である。敵対的というのは、個人的敵対という意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味である。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。」だから、我々の唯物論的テーゼを一層追求してそれを現代に適用すれば、我々の前には直ちに、ひとつの巨大な革命への、あらゆる時代で最も巨大な革命への展望が開かれるのである。


(参考2)「エンゲルスの書評」「カール・マルクス『経済学批判』 (二)
・(p260)「ここでは、経済学とは無関係のひとつの別の問題が解決されなければならなかった。それは、科学はどのように取り扱うべきか、という問題であった。一方にはヘーゲルが残したような、全く抽象的で「思弁的な」姿をとったヘーゲル的弁証法があり、他方には、月並みの、現在再び流行となっている根本的にヴォルフ流の形而上学的方法があった。」・・・
・(p261)「ヘーゲルの方法は、そのままの形態では全く役にたたなかった。それは本質的に観念論的であったが、ここで必要とされているのは、これまでのあらゆる世界観よりも一層唯物論的な世界観の展開であった。ヘーゲルの方法は純粋な思考から出発していたが、ここでは最も厳然たる事実から出発しなければならなかった。・・・にも関わらず、それは、現存のすべての論理的材料のうちで、少なくとも端緒となりうる唯一のものであった。」「ヘーゲルの思考方法が他のすべての哲学者たちのそれに抜きんでていた点は、その基礎にある巨大な歴史的意識であった。その形式はひどく抽象的で観念論的だが、彼の思考の展開は常に世界史の発展と並行して進んでおり、そして後者は本来ただ前者の検証にすぎないものとされている。」
・(p262)「彼(ヘーゲル)は、歴史のうちに発展を、内的連関を論証しようとした最初の人であった。・・・『現象学』においても、『美学』においても、『哲学史』においても、至る所この壮大な歴史観が貫かれており、至る所で素材が歴史的に、即ち、抽象的に歪められてはいるが歴史との一定の連関のうちに、取り扱われている。」「このような画期的な歴史観は、新しい唯物論的見解の直接の理論的前提であった。」


(社会的諸関係の物象化的転倒)
・(p264))経済学は商品から始める。即ち、個々人のものであろうと、原生的な共同体のものであろうと、諸生産物が相互に交換されるときから始める。交換に入り込んでくる生産物は商品である。しかし、生産物が商品であるのは、ただ物即ち生産物に、二人の人間又は2つの共同体の間の関係、即ち、ここでもはや同一の人格に結合されていない生産者と消費者との間の関係が結びついているからである。ここに既に、経済学全体を貫いており、ブルジョア経済学者の頭の中で酷い混乱を引き起こしている特有の事実の一事例がある。「経済学は物を取り扱うのではなく、人と人との諸関係を、究極においては階級と階級との諸関係を取り扱うのである。しかしこれらの関係は常に物に結びつけられており、物として現れる。このような連関は、なるほど個々の場合に、あれこれの経済学者たちにぼんやりと感じられてはいたが、マルクスが初めてそれが経済学全体に当てはまる事を発見・・・したのである。」(p265)(※)
 ※資本論の体系構成法については、『経済学批判への序説』「3経済学の方法」を参照してください。

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